忘却エンドロール

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映画「安城家の舞踏會」観た

 | 家族  Comment(4) 
Tag:日本

安城家の舞踏會
製作:日本’47
監督:吉村公三郎
ジャンル:★ドラマ

【あらすじ】代々の名門華族である安城家にも、太平洋戦争終結とともに悲劇が訪れた。家屋敷まで手放さなくてはならなくなった時、彼らは貴族階級との決別の意を込めて最後の舞踏会を開く。当主の忠彦は、最後の望みをかけて新川を招き…。

これも案外面白かったです。わかりやすいキャラクターと演技で、憐れっぽく滑稽に華族の没落を描いた風刺劇で、「あらあら可哀そうだこと!(笑)」みたいな感じで観るのが正しい…のかな?
(嗤)じゃないところがマイルドでわたし的には見やすかったんですが、当時の大多数がおかれた苦しい状況を知っている人から見たら、『ぬるいわっ!!』ってなるかも。
まあ、みんなだいすき原節子が”華族の肩書きより、家族の絆”みたいなポジションにいて、健気に家族を気遣い、みんなで現実に立ち向かっていこう!と励ます姿を見たら、多少はそんな気持ちも和らぎそうです。終盤の節子タックルは爆笑でしたし。これが本当の体当たり演技(笑)

そんな彼女が手を焼くのが、まずは風が吹いただけで倒れそうな弱々しい父親。完全なる温室育ちで、温室の中では優雅に咲き誇れても、外に出れば枯れてしまうと自分で思い込んでいます。というか、節子タックルがなければ死んでたし、そうでなくても娘がついてないと生きていけそうにない。一番の問題児でした。
次に真性ファザコンで長男の正彦。放っておいたらヒモになりそうな男なんですが、パパの気を引くためにピアノは頑張ったみたいだし、パパが再婚しないから自分も結婚しないし、パパを騙した奴には痛い目見せてやろうとするし、とにかく最初から最後まで父親しか眼中に無いのに、ほとんど父と話せてないヘタレで笑えました。…いや、筋違いな復讐に走った時は笑えなかったけどね。本気だったのかはわからないけど。
そして、気位の高いツンデレ出戻り長女の昭子。ずっと前から運転手の青年に熱烈に慕われていて意識しまくっているのに、そんな自分を否定するように”成り上がり者”とか”気持ち悪い”とか”汚い”と罵ります。「記念にぱぁっと舞踏会を開こう」と言い出したのもこのお人。最後にはデレて、砂浜を転びながら追いかけていくのが、やっぱり笑える。
そんな感じで笑いながら観てたんですが、最後は現実と向き合おうと決心したっぽい父親と、ひとりで問題児たちの面倒をみた次女・敦子のダンスが素敵で、二人の足の運びに惚れ惚れしました。このシーンが一番品があったかも。

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■ Comment

こんにちは。

コメントとTBありがとうございました。

>華族の没落を描いた風刺劇で、

私もそのように思います。
ヴィスコンティ作品に垣間見られる“滅びの美学”とは、ちょっと違うようには思いますが。
ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」には、豪華な舞踏会場に入っていく上流社会の人々を撮り終えた直後に、その近辺にひっそり佇む貧しい民家と住民を撮っています。
「安城家の舞踏会」には、そのような視野の広さが欠けていると私は思います。

>終盤の節子タックルは爆笑でしたし。これが本当の体当たり演技(笑)

いゃ~!、全く同感です(爆)。

>・・・いや、筋違いな復讐に走った時は笑えなかったけどね。本気だったのかはわからないけど。

そうでしたね。本気だったような気もしました。

>最後は現実と向き合おうと決心したっぽい父親と、ひとりで問題児たちの面倒をみた次女・敦子のダンスが素敵で、二人の足の運びに惚れ惚れしました。このシーンが一番品があったかも。

ほんとうに、このシーンが“救い”でしたね。映画作品としての格調も高めたと思います。
滝沢修の洗練されたステップには感心しました。
話は脱線しますが、私もこの映画から4~5年経った頃、社交ダンス教室に通いました。クリスマス・イヴを楽しむために。
目線を変えれば、彼等、彼女らは、戦後数年経ってから流行した舞踏会の先駆者だったのかもしれません。
2012/02/09 (Thu) 15:06  ascapapa〔編集〕  

Re: こんにちは。

いらっしゃいませ、コメントありがとうございます!
よかった~、風刺劇で合ってるんですね。映画関係のサイトで書かれてなくて、ちょっと自信をなくしてました。

> ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」には、豪華な舞踏会場に入っていく上流社会の人々を撮り終えた直後に、その近辺にひっそり佇む貧しい民家と住民を撮っています。
> 「安城家の舞踏会」には、そのような視野の広さが欠けていると私は思います。

うんうん、貧しい人はまったく登場しなくて、この時代がどんなものだったかまったくわかりませんよね。
戦後まもなく撮られた作品なので、作った本人たちはわかりきった事だと思っていたんでしょうか。

> 滝沢修の洗練されたステップには感心しました。
> 話は脱線しますが、私もこの映画から4~5年経った頃、社交ダンス教室に通いました。クリスマス・イヴを楽しむために。
> 目線を変えれば、彼等、彼女らは、戦後数年経ってから流行した舞踏会の先駆者だったのかもしれません。

お~、ダンスをやられるんですね!
わたしはリズム感もなく、ダンスなどは大の苦手です。憧れますよ~。
確かにこの作品を観たら、あんなダンスを踊ってみたくなるかもしれませんね。
2012/02/10 (Fri) 07:40  宵乃  

No title

 宵乃さん、こんばんは

ツンデレ昭子と女中キクの演技、今ならオーディション出入り禁止になるくらいの演技で。
(「ここで、ヨヨと泣く、って田舎芝居のト書きが見える)

松竹大船調のバリエーションと言えない事はないけど、そこに収まらないモノが有ると思います。
ホントにラストの原節子と滝沢修のダンスシーンが、この作品を不朽のモノに引き上げてる。
ここに描かれてるのはデカタンスと違う、レクイエムでもない、センチメントでもない。
では、この作品は何なのか、どっちつかずの「出来損ない」?
でも、違う「何か」を感じるし、パワーも感じる・・・。
今は、取り敢えず日本的ウェットの入った「無常」じゃないか、と思っています。
(舞踏会の客達が「平家物語」の冒頭を連想させるんですよね)
2014/02/18 (Tue) 00:09  鉦鼓亭編集〕  

>鉦鼓亭さん

いらっしゃいませ、コメントありがとうございます!

> ツンデレ昭子と女中キクの演技、今ならオーディション出入り禁止になるくらいの演技で。(「ここで、ヨヨと泣く、って田舎芝居のト書きが見える)

あはは、確かに!
この作風にはまあ合ってた気がするけど、あまり上手くはなかったですよね~。

> 松竹大船調のバリエーションと言えない事はないけど、そこに収まらないモノが有ると思います。
> ホントにラストの原節子と滝沢修のダンスシーンが、この作品を不朽のモノに引き上げてる。

松竹大船調というのがよくわからないんですが…、本当にラストのダンスシーンはよかったです。あれがなかったら、私的にただの喜劇でした。

> ここに描かれてるのはデカタンスと違う、レクイエムでもない、センチメントでもない。
> では、この作品は何なのか、どっちつかずの「出来損ない」?
> でも、違う「何か」を感じるし、パワーも感じる・・・。

描かれた時代のことをよく知らないからかもしれないけど、なんだか不思議な作品ですよね。妙に惹かれるものがあるというか。
当時の人がどういう風に観ていたのか見てみたいです!

> 今は、取り敢えず日本的ウェットの入った「無常」じゃないか、と思っています。
> (舞踏会の客達が「平家物語」の冒頭を連想させるんですよね)

鉦鼓亭さんはまじめに受け取られたんですね~。
わたしは茶化す感じで観てしまいました。
当時の多くの人たちから見たら「ざまーみろ」っていう感じだったかな?とか思って(笑)
「平家物語」は溝口健二監督の作品を前に一度観ただけで、冒頭どんな感じだったかよく覚えてなくて…。どちらも無常感は漂ってたような気はします。
曖昧な事しか言えずスミマセン(汗)
2014/02/18 (Tue) 07:40  宵乃〔編集〕  
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